当たり前についての雑記。 -xxxHOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル-

とある本屋にふらっと立ち寄り、小説のコーナーへ。西尾維新氏の作品がまとめてフェアみたいにしてあるコーナーがあったので、物語シリーズしか知らない自分はいろいろと見て回ることに。でもすぐに1冊選んで購入して帰る。――本屋の近くを通ったらなんとなく入って、なんとなく本を買って帰ってしまうのが当たり前になっている。この癖はどうしようもないな。

購入したのがxxxHOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル

CLAMP作品の中でも個人的にとりわけ好きなのがxxxHOLiCという作品。そして最近はまっている西尾維新氏がコラボしてるとなれば自然と手が出てしまうわけだ。しかし買ってみるとどうだ2006年の初版本。もう6年も前にコラボしていたなんて。ファンとして迂闊だったとしか。

xxxHOLiC』という作品については第一巻の序文が世界観の全てを表わしている。

世に不思議は多けれど  どれほど奇天列 奇々怪々なデキゴトも
ヒトが居なければ ヒトが視なければ ヒトが関わらなければ
ただのゲンショウ ただ過ぎていくだけの コトガラ
人 ひと ヒト
ヒトこそこの世で 最も摩訶不思議な イキモノ

人の願いを叶える店に、それぞれの願いを持った人が訪れ、それ相応の対価をもらい願いを叶える店主とバイト君の物語。「偶然はない、あるのは必然だけ」というのも根底の考えにあり、自分がこの本を手にとったのもやはりそれは必然なんだろうなとか思ったり。是非いろんな人に読んでもらいたい。

本題。今回の話。3篇収録されている中の最初の物語。
“幸福を放棄する代わりにプレッシャーから逃げる女性”の話から感じたこと。考えたこと。
彼女は自分の行動に見合うだけの幸福を受け入れることができない。
その幸福を受け入れてしまったことによって生じる責任を負うのがいやだ。プレッシャーを受けるのがいやだ。
ひたすらバランスをとって安定を望む。そんな、とても計算高い、行動を、無意識に行っている。それが彼女。

自分はどうだ。と、まずは思う。まあなんとかやってるかな。それなりに。
今自分が受けている幸福を、当たり前として受け入れられている。それなりの対価とともに。
でもまわりではそうでもないようだ。「生きてるだけで素晴らしい」とか言って思考停止してる人が多いなーなんて思う。あくまで主観。
「生きてるだけで素晴らしい」から感じる不釣り合いさ、そこから感じる違和感が個人的にとても気になる最近だ。

まあそんなこと考えるとより良い幸福ってのはどんどん新しいものへ求めていかなければならないよなーなんてことも思いまして。それが普通になってしまったらさらに次へと際限なくなってしまう。それが欲とでも言うのか。人間って怖い(笑)

結局この物語から気をつけたいのは自縄自縛に陥らないようにしたいということだろうか。幸福になるために確かにどこかで何かしらの対価を支払っているのだとは思うが、それを気にし過ぎると先にある幸福へは進み辛い。ふと立ち止まってしまった時に思い出してみることが肝要なのではないかと。普段は適当に当たり前だと思っているのが良いんだと。

そんなことを、
普段考え過ぎで小心者な自分が、
適当に思ったのでした。

救いだったのは「真の小心者は、失敗よりも成功をより恐れるもの」という言葉。

あー良かった。自分はまだ失敗を恐れてる。成功を恐れるほどの小心者ではない。

※久しぶりで勝手がつかめない文章・・・

×××HOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル

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