意志と思い込みについての雑記。 -偽物語 かれんビー 其ノ漆-

かれんビーが完結しました。最終話となる7話を見て思ったことをつらつらと。


壮絶な兄妹喧嘩。あり得ない力と力のぶつかり合い。空を飛び、地面が放射状に割れる勢いの闘い。いやもう喧嘩というより闘い。

その勝敗を決したのはお兄ちゃんの意志の強さでした。

「力が強くっても意味なんかねーよ。本物に必要なのは__意志の強さだ」
「〜略〜お前達(ファイヤーシスターズ)はいつだって、他人のために動いている。誰かのために動いている。そこにお前達の意志はない」
「〜略〜理由を他人に求める奴が、正義であってたまるものか。〜略〜お前達は正義でもなければ正義の味方でもない。正義の味方ごっこで戯れる__ただのガキだ。」

普通に見てしまえば中二病にとりつかれた高校生が何かっこつけて言ってんだよ」的な見方なんですがまあその通りで(笑)、この物語シリーズ全体で中二病にまみれた言葉がたくさん散りばめられていますが、それがけっこう的を射ていることが多いなーなんて思ったりもするわけです。

第4話で暦は“正しいから強いのではなく、強いから正しい、だから正義は必ず勝つ”のようなことを言っていました。「強いから正しいとは何と理不尽な」と思うところを、その強さが何の強さかということで理解は一瞬でした。意志の強さ。力ではなく、意志。意志を強く持った結果物事は為されていく。その結果として力はついてくる。意志がなければ力なぞ付かん。意志がなければ力があっても意味がない。綺麗言かもしれないけどそれが真実。単純明快。そしてその意志の出所が自分でなければそれは偽物でしかない。そんなことを考えさせられました。

兄として妹が体調が悪いのに貝木という悪を倒しに行くという愚行を、暦が意志の強さで止めた兄妹愛に溢れる場面でもあった。暦にとって妹達は誇り。誇りを汚された屈辱。妹の尻拭いをすることを名誉とまで言い切った暦お兄ちゃんはかっこよかった。
「あとは任せろ」そう言って自分よりでかい妹を大きな愛で抱いた暦はかっこよかった。

間違ってもコンビニで298円なんかでは売っていない素晴らしい兄妹愛でした。

――そして物語はあっけない解決。「囲い火蜂」という怪異は結局偽物だったというオチ。もともと室町期に起こった流行り病だったということ自体が嘘であって、嘘を真実だと勘違いして伝承されてしまった怪異だと。偽物の怪異だったわけだ。だから火憐ちゃんの体調もすぐ良くなると。「嘘から出た真」そんな言葉を思い出す。

始まりはたった一人の嘘から始まるなんてよくあること。それをほんとの事にしてしまうのは良くも悪くも人の思い込みから。思い込みの強さが人の意志になって現れてるんじゃないかとそんな風にも考えさせられます。その思い込みに付け込むのが詐欺師貝木泥舟だったと。この貝木が完璧なまでに悪を貫いていたのは清々しかった。全ての元凶としての立ち位置は今期アニメで最高の悪役だとも言い切れる。今期まだ終わってないけど。その貝木とけじめをつけ、最後にデレたガハラさんも最高だった。次から始まる、つきひフェニックスも楽しみです。
次回予告の貝木がわりと壺(笑)→第八話 つきひフェニックス 其ノ壹

締めとして、今回の話から得るべき教訓

1.正義とは意志の強さであり、強くなるためには他人に依らない自分の中から得られる意志を持つことが重要だということ。

2.人は思い込みによって世の中を理解し、自分自身を理解する。何事も疑ってかかるべきだが疑いすぎるのも良くない。バランスを上手くとっていくのが良いということ。

こう結論付けて終わりにしたいと思う。ま、あくまで個人的見解ですが。

※もっといろんなジャンルの話を記事にしたいんだけどなあ・・・
 画像は拾いもの。

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